九龍城砦
2014年 11月 08日
縦・横に増殖し続け最盛期には5万人が生活していたとされる
香港・九龍市に存在していた地上10~15階の高層建築群「九龍城砦」
「東洋の魔窟」とも呼ばれる巨大なスラム街が形成されていた
現在の香港・九龍の九龍城地区に造られた城塞、またはその跡地に建てられていた巨大なスラム街を指す呼称。
広東語で「ガウロン センジャーイ」と呼ばれてきた
日本では九龍城砦を「九龍城」(きゅうりゅうじょう)と呼ぶ場合がある
現在では「九龍城」は九龍城砦が存在した一帯の地域名あるいは、現在の行政地区名の呼び名である
どの国の主権も及ばずに半ば放置された環境から「東洋のカスバ」「東洋の魔窟」と呼ばれ、
「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた
しかし1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定すると
1987年には香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を強制移住させる方針を発表
1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行われ、再開発後に九龍寨城公園 (Kowloon Walled City Park) を造成
記録として。